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A・受難の主日

stauros
 スタウロス
     十字架


磔柱、十字架。新約聖書関係の文書では、極刑である磔の執行用具。地面に垂直に打ち込まれた支柱(杭)。しばしば横木が上部に取り付けられたので、Tないしは+の形となった。

(1)字義通りに
(a)イエスに対して用いられた十字架
▼マタ二七40 言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子あなら、自分を救ってみろ。そして【十字架】から降りて来い。」
▼マタ二七42 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ【十字架】から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。
▼マコ一30 【十字架】から降りて自分を救ってみろ。」
▼マコ一五32 メシア、イスラエルの王、今すぐ【十字架】から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
▼ヨハ一九25 イエスの【十字架】のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
▼ヨハ一九31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を【十字架】の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
▼フィリ二8 へりくだって、死に至るまで、それも【十字架】の死に至るまで従順でした。
(b)動詞「とどまる・耐え忍ぶ」の目的語として、「十字架を甘受する」
▼ヘブ一二2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで【十字架の死】を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
(c)死罪を宣告された人は十字架を処刑場まで自分で運んだ
▼ヨハ一九17 イエスは、自ら【十字架】を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
(d)共観福音書ではキレーネのシモンがイエスのために十字架を運ばさせられた
▼マタ二七32 兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの【十字架】を無理に担がせた。
▼マコ一五21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの【十字架】を無理に担がせた。
▼ルカ二三26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、【十字架】を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
(e)十字架の上の罪状書きは、処刑の理由を示す
▼ヨハ十九19 ピラトは罪状書きを書いて、【十字架】の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。

(2)象徴的に、
(a)信ずる者が、主に従うために自ら引き受けなければならない苦しみと死
▼マタ十38 また、自分の【十字架】を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
▼マタ十六24 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の【十字架】を背負って、わたしに従いなさい。
▼マコ八34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の【十字架】を背負って、わたしに従いなさい。
▼ルカ九23 それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の【十字架】を背負って、わたしに従いなさい。
▼ルカ一四27 自分の【十字架】を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。

(3)(死と復活と共に)キリスト教信仰における最も重要な要素のひとつとしてのキリストの十字架
(a)ユダヤ人にとっては「さまたげ」であるから、迫害する理由となった
▼ガラ五11 兄弟たち、このわたしが、今なお割礼 を宣べ伝えているとするならば、今お迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、【十字架】のつまずきもなくなっていたことでしょう。
▼ガラ六12 肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの【十字架】のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。
(b)だが、パウロにとっては、十字架は彼の誇りの唯一の根拠
▼ガラ六12 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの【十字架】のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。
(c)「十字架のメッセージ」は、その神秘的で逆説的な性格のゆえに、信じない者たちには必然的に愚かなことである
▼1コリ一18 【十字架】の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
(d)だから、このメッセージをこの世の知恵に従って示そうとすれば、「キリストの十字架」の真の内容が消え失せてしまう
▼1コリ一17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの【十字架】がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。
(e)十字架上のキリストの死は救いをもたらす
▼エフェ二16 【十字架】を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
▼コロ二14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを【十字架】に釘付けにして取り除いてくださいました。
(f)イエスの十字架の血は平和をもたらす
▼コロ一20 その【十字架】の血によって平和を打ち立て、天にあるものであれ、地にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
(g)その生き方からみて「キリストの十字架の敵対者たち」と呼ばざるをえない人々が受洗したキリスト者の中にもいる、とパウロは考えている
▼フィリ三18 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの【十字架】に敵対して歩んでいる者が多いのです。